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不動産投資の口コミご用意!

キッチン、ダイニング、リビングルーム、寝室が基本です。
広さに恵まれた住宅なら書斎があるかもしれないし、二世帯住宅だと台所がふたつという例もありますが、ラインアップはおなじです。
「部屋はすべて和室」とか、土間があるとか、縁側があるという家はいまではほとんどありません。
私たちが住まいを新築する、買うというとき、この構成がベースになります。
キッチン、ダイニング、リビングルームに寝室という空間の集合体が現在の住まいですが、この構成からまったく自由になってマイホームを構想するのは、じつはとてもむずかしいものです。
キッチンがなくホームシアターの部屋がある家とか、リビングルームのかわりに二十畳の寝室がある家などあってもよさそうですが、現実にはまずありえない。
それだけ私たちは既存の住まいの構成にしぼられている、ということもできます。
ではこの基本構成のうちで、人々がまず念頭におくのはどの部屋でしょう。
ハウスメーカーの営業担当者はこういいます。
「まずどなたもリビングルームを一番に考えられます。
セールストークでも一番力を入れます」メーカーが用意しているパンフレットの冒頭を飾るのはキッチンでも夫婦の寝室でもありませんし、かならずといっていいほど、リビングルームが最初の頁に登場します。
テレビのCMでも舞台はたいていリビングルームです。
でもなぜ、リビングルームなのでしょう?その疑問をとくまえに、まず日本人とリビングルームとの出会いについて見てみましょう。
戦前までの日本は、家長を中心とした家父長制度によって家族が成りたっていました。
戦後、その家父長制度は崩壊します。
かわって登場したのが、欧米的な新しい家族のありかたでした。
これは「ラブロマンスでむすばれた夫婦が対等な関係を築きながら、親子ともども家庭内で自由に話しあえるような家族」を目指すひとつの「思想」でもありました。
そうした家庭生活と住まいを、「モダンリビング」という言葉でいいあらわしました。
はじめモダンリビングは、一部のインテリや先進性を求める人々のあいだだけにとどまっていましたが、一九五〇年代の末期、テレビが大衆化したとき、それは一気に広まりました。
推進役になったのはアメリカ産のホームドラマです。
『パパは何でも知っている』『うちのママは世界一』といった番組が大人気になり、視聴者はそこで描かれるモダンリビングの「豊かさ」に釘づけになりました。
ドラマでは知的でたのもしいパパと、おいしいクッキーをつくる美人のママと、やんちゃだけど物わかりのいい子供たちが、日常的に起こるちょっとした事件、トラブルを解決していくようすを描いていました。
そこでかわされる家族の会話、親が子にむける言葉の数々は、それ自体が日本人には新鮮で新しい家族像として理想的にうつりました。
このホームドラマで中心になったのがリビングルームでした。
ふかふかの大きなソファ、そして大きなテレビに薪が燃える暖炉。
カーペットの上にはかならず大型犬が寝そべっています。
リビングルームの見本、夢の「テキスト」がそこにありました。
当時の日本人はそのようにして、リビングルームのある暮らしをイメージとして刻みつけていったのです。
さらにドラマで描かれる住まいには広い芝の庭があり、日曜口にはパパがモーターで動く自動芝刈り機で庭の手入れをします。
ガレージから出てくるのは大型のステーションワゴン、それにセダンです。
キッチンには食器洗い機や、これまた見たこともない大きな冷蔵庫があります。
そこには目もくらむほどの「豊かさ」がありました。
やがて日本に高度成長期がやってきます。
住宅はまたたくまに、立派になっていきました。
もちろん、アメリカのホームドラマのように広くはないけれど、板張りの洋室にソファを置き、洋酒をならべた棚もつくりゴルフコンペでとったトロフィーも飾りました。
煙突がないかたちだけの暖炉をつくり、そのなかで薪を燃やすかわりに電気やガスのストーブを置きました。
これでドラマのように、リビングルームでの団欒がスタートするはずでした。
けれど、それは夢に終わりました。
父親の帰宅はいつも遅く、土曜、日曜もゴルフか出勤です。
子供たちも受験勉強で、部屋からなかなか出てきません。
ママだけがひとりテレビを見ている。
一九七〇年代になると、そんな光景が全国の家庭で一般的になっていきました。
モダンリビングの舞台はそろい幕があがったけれど、家族の団欒は実現されなかったのです。
実現したのはさまざまなモノ、車、エアコン、カラーテレビといった消費財にかこまれた住まいという「空間」だけだったのです。
なぜ、こんなことになったのでしょう?日本人の住宅のリビングルームがどのように受け入れられたのか、その過程をふり返ってみましょう。
りビングルームの原点を求めると、公営住宅標準設計五一C型という住宅にいきつきます。
五一とは一九五一年のこと、戦後まもない貧しい住宅事情を改善しようと誕生したこの集合住宅のモデルは、戦後の住宅史においてエポックメイキングとなりました。
五一C型の住まい手には、当時都市部で急速にふえはじめていた核家族が想定されました。
中身は和室が二つに四畳半のダイニングキッチンがつくという狭いものでしたが、登場したとたんに、人々の憧れの的になります。
五一C型の特徴はなんといってもダイニングキッチンです。
板張りの部屋でテーブルをかこむ食事は、当時としては革新的でした。
けれどそれ以上に「食」と「寝」を分碓して、別々の部屋で行うようにしたことが、日本人の生活を大きく変えるきっかけになりました。
それまで食事といえば、茶の間の卓軌台でとるものでした。
就寝時にはそれを片づけて布団を敷く、というのが一般的な生活スタイル。
ひとつの部屋で、食事と居間と寝室を兼ねそなえていたのです。
このように茶の間は、時間割によってその性格をがらりと変えました。
食事時は家族全体の食堂になり、就寝時には夫婦や子供たち、あるいは家族全員の寝室になりました。
それにたいして、新しく登場したダイニングキッチンは「食べる」、あるいは「団欒する」ためだけに存在する部屋です。
こういう部屋はそれまでの住宅にはありませんでした。
つまりこのときはじめて、狭いながらも「食」「団欒」のための専用空間が日本の住まいに誕生したのです。
五一C型をモデルにする住宅は、日本住宅公団によって大量に供給されるようになります。
当初、PRのために映画もつくられていて、そのなかに興味深いシーンがあります。
風呂に愉しそうに入浴しますしそこへ妹夫婦が訪ねてきます。
主人ははりきってカクテルをふるまいます。
小さな応接セットでいっぱいになるほど狭苦しい部屋の片隅で、カクテルをシェイクする場面はいささか滑稽ですが、当時の人々が夢見た暮らしの一端が、そこにはあらわれています。
この応接セットの一角が、のちに一般的になっていくリビングルームの原点だといえるでしょう。
リビングルームが一般に広がっていくのは、一九六〇年代のなかばからです。
最初、それはダイニングキッチンを広くして、応接セットを置くスペースを確保するというかたちで一般化しました。
いわば広めのダイニングキッチンです。
ダイニングキッチンのDKの頭にリビングをつけたLDKという空間として、急速に広まっていきます。
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